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33年前の宮城県沖地震

6月12日といえば33年前、宮城県沖地震がありました。

Twitterであの日のことを書いている友人のつぶやきを見て
私も思い出してました。
地震が起きた時のことは今でも鮮明に覚えています。

(今朝のTwitterより転載)__________________

33年前のあの日、友達2人と家で遊んでいた。
大きな地震の確か10分くらい前にも地震があった。
その時、私に何か憑依したらしく(^^;)
突然私は「このあと大きな地震が来る!」と言った。
友人達は私の顔が怖い!と言って外へ飛び出し、私も逃げた。
それで助かった。家にいたらあぶなかった。

友人達はそのまま帰ってしまい、ポツンと残された私。
部屋に戻ろうと思った時、聞いたことないような音が遠くから聞こえた。
地鳴りの音とそれが来た方向も覚えてる。
ドーンと突き上げられてひとり慌てて小学校に走った。
目の前でブロック塀や地面が壊れた。
子供の時の1人の体験。
忘れないものだ。

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年がバレますが、当時私は8才。
子供じゃないか!
本人は結構淡々としていたように思うけど、顔を見るまでの親の心境を考えると
親のほうが心臓バクバクだったと思う。

その後、どうやって無事に母親に会えたか、その時間までの記憶が
逆に全然無いのです。(父はちょうど仙台にいなかった^_^;)

次の記憶は、夜10時くらいに、祖母ふくこさんが
一番町から歩いて、当時住んでいた鶴ヶ谷の団地に来てくれたこと。
その時の格好がさすがのふくこさんだった!
だって頭に巻くタイプのサーチライトを着け、おでこから強い光を放ってた!ww
腰にはそのバッテリー。
なんてかっこいいんだと思った。

家(当時も住んでいたのは団地)の中は相当にグチャグチャで
正直、今回の東日本大震災より悲惨だった。
部屋の真ん中のこたつが、両側から倒れた家具にはさまり天板が割れていたような。
あの部屋にひとり、もし8才の私がいたら、確実に怪我してただろう。
ガラスの破片もたくさんあった。

確か翌日はまだ、学校の水飲み場から水が出てて
私は容器を持たされ、大人にまざって並んでた。
私より3人前くらいで、水の出が悪くなりはじめた時に
「もうすぐ出なくなるな、あなた!来なさい!」って
子供の私を優先させてくれたのも覚えている。
反対する人も誰もいなかった。

今思えば、その日以来、揺れには過剰に反応するようになった。
それこそ何年も何年も。
たぶん、よっぽど怖かったんだろう…。

当時子供だった自分の記憶をたどってるうちに
今回の震災でひとりであの惨事を体験した子供の気持ちを考えずにはいられなかった。


(追記)
地震直後から、母に会えるまでの記憶がなかった私。
今日、母に聞いてみたところ。
8才の私は、ひとりで学校に避難していたらしい。
その後、母の職場のK子先生が、母に頼まれて私を探しに来てくれて
それで、学校から家に戻ろうとしていた私を見つけたそうな。
そうだったのかーー。
K子先生にもあらためてありがとう!


(長文すみません…。)

 
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by takanoshokudou | 2011-06-12 12:51 | つぶやき